2010年 06月 22日
やわらかにゆれる
何が驚くって、このブログのアクセス数よりも、閉じたほうのブログのアクセス数がいまだに多いってこと。
たははははは!
なんだかねえ~~~。
まあ、今はこのくらいのほうが、好き勝手なこと書けるからいいんだけどね。
も一つ驚いた昨日のできごと。
今までだったら(いや、昨日のそのときだって)、ものすごく嫌な気分で、怖くて、心臓バクバクで、夫に「助けて!」の電話しちゃいそうなくらいのことだったのに、
案外冷静な自分に驚いた。
内容はちょっと書けないけれど、以前のブログをお読みの方には(いや、それしか読者はいないだろうけど)
近隣問題のことで・・。
急に平気になったわけじゃないんだけど、、
ちょっと、考え方を変えて、相手の前に立ってみただけ。
わかったよ~~。 「怖い」と思うのは、わたしがそう思うから「怖かっただけ」なんだって。
毅然と相手の前に立って、目を見てやったら、すごすごと立ち去ったわ。
相変らずの暴言と脅迫の言葉を吐きながらだったけど。。
でもね、その後もほとんど冷静でいられた。
冷静に、各所に連絡入れた。
こういう「恐れ」とか「不安」とかは、本当に自分の中から作られるもんなんだな。。って感じた。
暗闇が怖かった子供のころも、そこにいるはずのない「おばけ」が怖いから。。
「おばけ」が「怖い」ものだって、どこかで入ってしまった情報から、その情報に振り回されてただけ。
「虫」が嫌いなお母さんの子どもが「虫」嫌いになるのも
お母さんが「虫」を見るたびに、キャーキャー言うから、子供もそういうものだと刷り込みされる。
刷り込みや「情報」が、すべて不必要だとは思わない。
その情報が、危険回避に役立つ場合だってあるはずだし、すべてが経験から学ぶべきであるとも思わない。
でも、時に情報も必要ではあるけれど、その情報によって自分に壁を作るのもどうかと思った。
前のブログをやめたのも、一つの方向にだけに向かいそうなことが、自分の中で違和感になっていたのかもしれないし、そういう点で、今読み返して、一番「これは今はそう思わない」と思う部分は
「ぶれない自分になりたい」と書いた箇所かもしれない。
今は「ぶれて当然じゃん」と思う。
ぶれない自分は、自分の前に大きな壁を作るだけ。相手の声も聞こえなければ、自分をも閉じ込めることになる。
芯がなくゆらゆらゆれるということではない、でも、どんな風にも揺れない自分はありえない。
そのつど、そのつど自分の気持ちに揺れがあって、その揺れをちゃんと感じればいい。
揺れを感じるのは、自分の考えと違うものに触れたから。
でも、その違う考えは、すべてが間違ったものではないはずなんだよね。
ときに、自分が根底から覆されることがあったって、
そもそもの自分なんて、たいしたもんじゃないんだし。
覆されても、覆されても、そこに残る自分はあるはずだもの。
そして、それがわたしの「性格」ってやつかもしれない。
「性格」はね。どうしようもないからさ。
私は、子どもの前で「虫が嫌いでキャキャー騒ぐ親」になったらいけないと思ってた。
いや、毛虫見て「うげ~~~~!気持ちわる~~」って騒ぐし、母さんの大の苦手は、テレビ画面に出ても「あれがでなくなったら教えて!」って言うくらい、嫌いは嫌いって言ってきた。
ただ、だから「虫はこわい」という刷り込みはしていない。
「虫が怖い」は虫に対する価値観。そして、ただの虫に対する「壁」
というわけで、うちの娘らは「虫は気持ち悪いのもいるが、怖くはないし、可愛いのもいるし、毒のあるのもいるし、近寄ったらいけないのと、素手でつかんでも平気なのもいる」
と、虫に関しては、さまざまな対応ができるようになった。
けして、むやみにキャーキャー騒がない。
もう、娘たちも、どちらも「親の言うことをまっすぐ聞く」年齢ではなくなったので、私もいろんなことを平気で話せるようになった。
たとえば、今日書いたようなことも、ぽーこにそのまま話すと、彼女なりの解釈でいろいろ返してくれる。
けして「母さんの言うとおり」ではない。
むーたろうも、迷うといろんなこというけれど、わたしが「じゃあ、こんなふうは?」とアドバイスもどきなことをいったとしても
「うん。ま、 そこはあれだから、こうでこうする」と自分の意見で母のアドバイスなど、どこにも入れてくれた様子がない。
それはそれでいい。
わたしは、大変楽ちんである。
ぽーこにも、やたらといろんな話題を吹っかけるもので、迷惑なのかと思ったら
先日夫に
「最近は、母さんと侃侃諤々の会話をしてるんだよ」といっていた。
「ほーそうかい」と感心なさげな夫に、さらに
「いや、日本人が一番出来ないディベートを練習してるんだから。。。」と。。。
ええ???ディベートだったのか???
そりゃあ。。。。。。。ちょっと驚きだ!ってか。。。。母さんちょっとまずい。。。
侃侃諤々じゃなくって、喧々轟々な日本人だもん。
やわらかにゆれて、さまざまな言葉を聞いていこう。。
夏至の日のゆうぐれ。 ぽーこ撮影
たははははは!
なんだかねえ~~~。
まあ、今はこのくらいのほうが、好き勝手なこと書けるからいいんだけどね。
も一つ驚いた昨日のできごと。
今までだったら(いや、昨日のそのときだって)、ものすごく嫌な気分で、怖くて、心臓バクバクで、夫に「助けて!」の電話しちゃいそうなくらいのことだったのに、
案外冷静な自分に驚いた。
内容はちょっと書けないけれど、以前のブログをお読みの方には(いや、それしか読者はいないだろうけど)
近隣問題のことで・・。
急に平気になったわけじゃないんだけど、、
ちょっと、考え方を変えて、相手の前に立ってみただけ。
わかったよ~~。 「怖い」と思うのは、わたしがそう思うから「怖かっただけ」なんだって。
毅然と相手の前に立って、目を見てやったら、すごすごと立ち去ったわ。
相変らずの暴言と脅迫の言葉を吐きながらだったけど。。
でもね、その後もほとんど冷静でいられた。
冷静に、各所に連絡入れた。
こういう「恐れ」とか「不安」とかは、本当に自分の中から作られるもんなんだな。。って感じた。
暗闇が怖かった子供のころも、そこにいるはずのない「おばけ」が怖いから。。
「おばけ」が「怖い」ものだって、どこかで入ってしまった情報から、その情報に振り回されてただけ。
「虫」が嫌いなお母さんの子どもが「虫」嫌いになるのも
お母さんが「虫」を見るたびに、キャーキャー言うから、子供もそういうものだと刷り込みされる。
刷り込みや「情報」が、すべて不必要だとは思わない。
その情報が、危険回避に役立つ場合だってあるはずだし、すべてが経験から学ぶべきであるとも思わない。
でも、時に情報も必要ではあるけれど、その情報によって自分に壁を作るのもどうかと思った。
前のブログをやめたのも、一つの方向にだけに向かいそうなことが、自分の中で違和感になっていたのかもしれないし、そういう点で、今読み返して、一番「これは今はそう思わない」と思う部分は
「ぶれない自分になりたい」と書いた箇所かもしれない。
今は「ぶれて当然じゃん」と思う。
ぶれない自分は、自分の前に大きな壁を作るだけ。相手の声も聞こえなければ、自分をも閉じ込めることになる。
芯がなくゆらゆらゆれるということではない、でも、どんな風にも揺れない自分はありえない。
そのつど、そのつど自分の気持ちに揺れがあって、その揺れをちゃんと感じればいい。
揺れを感じるのは、自分の考えと違うものに触れたから。
でも、その違う考えは、すべてが間違ったものではないはずなんだよね。
ときに、自分が根底から覆されることがあったって、
そもそもの自分なんて、たいしたもんじゃないんだし。
覆されても、覆されても、そこに残る自分はあるはずだもの。
そして、それがわたしの「性格」ってやつかもしれない。
「性格」はね。どうしようもないからさ。
私は、子どもの前で「虫が嫌いでキャキャー騒ぐ親」になったらいけないと思ってた。
いや、毛虫見て「うげ~~~~!気持ちわる~~」って騒ぐし、母さんの大の苦手は、テレビ画面に出ても「あれがでなくなったら教えて!」って言うくらい、嫌いは嫌いって言ってきた。
ただ、だから「虫はこわい」という刷り込みはしていない。
「虫が怖い」は虫に対する価値観。そして、ただの虫に対する「壁」
というわけで、うちの娘らは「虫は気持ち悪いのもいるが、怖くはないし、可愛いのもいるし、毒のあるのもいるし、近寄ったらいけないのと、素手でつかんでも平気なのもいる」
と、虫に関しては、さまざまな対応ができるようになった。
けして、むやみにキャーキャー騒がない。
もう、娘たちも、どちらも「親の言うことをまっすぐ聞く」年齢ではなくなったので、私もいろんなことを平気で話せるようになった。
たとえば、今日書いたようなことも、ぽーこにそのまま話すと、彼女なりの解釈でいろいろ返してくれる。
けして「母さんの言うとおり」ではない。
むーたろうも、迷うといろんなこというけれど、わたしが「じゃあ、こんなふうは?」とアドバイスもどきなことをいったとしても
「うん。ま、 そこはあれだから、こうでこうする」と自分の意見で母のアドバイスなど、どこにも入れてくれた様子がない。
それはそれでいい。
わたしは、大変楽ちんである。
ぽーこにも、やたらといろんな話題を吹っかけるもので、迷惑なのかと思ったら
先日夫に
「最近は、母さんと侃侃諤々の会話をしてるんだよ」といっていた。
「ほーそうかい」と感心なさげな夫に、さらに
「いや、日本人が一番出来ないディベートを練習してるんだから。。。」と。。。
ええ???ディベートだったのか???
そりゃあ。。。。。。。ちょっと驚きだ!ってか。。。。母さんちょっとまずい。。。
侃侃諤々じゃなくって、喧々轟々な日本人だもん。
やわらかにゆれて、さまざまな言葉を聞いていこう。。
夏至の日のゆうぐれ。 ぽーこ撮影
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u-たん
at 2010-06-22 23:00
x
ほんとに綺麗な夕焼け!
写真素敵ですね♪
こちらも思わず手を止めて見入るほどでしたよ~
>ぶれない自分は、自分の前に大きな壁を作るだけ。相手の声も聞こえなければ、自分をも閉じ込めることになる。
まさに今日そんな話を聴いたので、すごく共感します。
揺れる自分 弱さを内にもった自分 それを自覚している自分。
それをもった人が実は寄添う役割に向いているのですよ と言う話でした。
写真素敵ですね♪
こちらも思わず手を止めて見入るほどでしたよ~
>ぶれない自分は、自分の前に大きな壁を作るだけ。相手の声も聞こえなければ、自分をも閉じ込めることになる。
まさに今日そんな話を聴いたので、すごく共感します。
揺れる自分 弱さを内にもった自分 それを自覚している自分。
それをもった人が実は寄添う役割に向いているのですよ と言う話でした。
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vinge at 2010-06-23 07:17
☆u-たんさん
わたしが、あらゆる場所で感じたこと(違和感)もそういうことだったのかもしれない・・と思いました。
「革命家は、独裁者に移行する」ということをふと思いました。
揺れる自分は、常に自分の気持ちを問いただす。
問い続けること。聞き続けること。
自分にも他者にも。
そして、答えを出すことに意味はない。。。と、そんなふうに思います。
今年も半分過ぎましたね。
夏に向かう夕焼けでした。 u-たんさんも見てたのね~~♪
体調管理にも気をつけてね!
わたしが、あらゆる場所で感じたこと(違和感)もそういうことだったのかもしれない・・と思いました。
「革命家は、独裁者に移行する」ということをふと思いました。
揺れる自分は、常に自分の気持ちを問いただす。
問い続けること。聞き続けること。
自分にも他者にも。
そして、答えを出すことに意味はない。。。と、そんなふうに思います。
今年も半分過ぎましたね。
夏に向かう夕焼けでした。 u-たんさんも見てたのね~~♪
体調管理にも気をつけてね!
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虫喰い林檎
at 2010-06-29 16:49
x
突き刺さりまする~ σ(^_^;)?
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vinge at 2010-06-30 07:19
☆林檎さん
およよ!突き刺さっちゃいました??@@;;
でね、その突き刺さる気持ちをゆっくり感じているうちに、考える糸口が見つかるような気がするんです。
・・・・・・と、今だから言えるのかもね。^^;;
およよ!突き刺さっちゃいました??@@;;
でね、その突き刺さる気持ちをゆっくり感じているうちに、考える糸口が見つかるような気がするんです。
・・・・・・と、今だから言えるのかもね。^^;;
by vinge
| 2010-06-22 10:27
| つれづれ
|
Comments(4)