やわらかな 日々

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仲間になれない

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お休み中はずっといいお天気が続いたので、外へ外へと出かけてばかりいて
ま、出かけたといっても、相変らずの近間ばかりのおでかけだったけど、本読んだり、畑仕事や庭仕事もしたし、
なかなか充実してたかな~。

昨日は、畑仕事の筋肉痛がでて、ギクシャクロボットな動きだったけど、街まで娘の所用で出かけたりしてたので
今日の恵みの雨は、とてもゆったりした気分。


読んでいた本は、図書館から借りてくるのは2度目の

子どもは判ってくれない

内田 樹 / 洋泉社



なぜ2度目かというと、一度目に読んで「おお、なるほど」と思った箇所がいくつかあったと思いながら、頭に残ったのは「そのいくつかあった」ということのみで、その中身がなんだったか忘れてしまったためなのだ。

わたしが、本を読むと大体こういうことにしかならない。
なので、もう2度か3度くらい読まないとならないのだけど、それでも内容が頭に残る確立は年々低くなっていく気がする。
ずっと前からそうだけど、今は「加齢」だといいわけが出来るようになってうれしい。
で、再び読んでいると、やっぱり「おお!なるほど!」とまた新鮮に思うのも楽しい。
ま、そんな調子なので、わたしが読んだ本のことを書くのはけして「感想」じゃありません。

前置きが長かった。。(この本の前書きも長くてそれを読み込むのも大変だった)

長い前書きを読んで、ようやく一つ目の話で「おお。。。」と思ったのが
団塊の世代」から下、さらに40代くらいから顕著になると思われる「同世代限定の共生感」について。

ここから、内田さんの言わんとしていることから離れますが。。
私の年代って、ほんと「同年」ってだけで話し盛り上がるよね。
いや、それ以外の世代だって、「同期限定」の話題で盛り上がっていることあるんだろうけど、
この「同年・同期」を「仲間」という名に置き換えると、「共生」な部分のつながりの強さに対し、排他的なところは、どんどん顕著になってる気がするのね。

私が、まだ他県に住んでいたころ、初めて知り合った地元のママ友と仲良くなって、ある日、その方のおうちに遊びに行ったら、友人の友人がいたんですよ。
その人は、ママ友の同級生らしくて、その場では一応私ともお話したのだけど、別の日に公園でその友人だけがいたので話しかけたら、そっぽむいちゃうの。
後で考えたら「わたしはママ友とは友人だけど、あなたは知らない人(同級生じゃない)だから友人ではない」ということなんだとわかったけど。。

こういう場面ってその後もあちこちで感じている。
ある種のグループがあると、一貫してひとつの話題だけで盛り上がる。
しかも、同じ方向性を持たないと「異端児」扱いで、たちまちグループからはじき出される。
一応大人な態度で「ああ、そういうことですね」と受け入れるようでいて、実はまったく無視されてしまう場合がある。
ともすれば「KYな人」という烙印まで押されて。。

まったく、この「KYな人」と言う言葉ほど、嫌いなことばはない。

ある方のブログからお借りする話題で申し訳ないんだけど。。

学校の行事での催しものに、ある提案がありそれでクラスが盛り上がっていた(やる方向で)ところに、
「それは難しいから出来ない」と発言した子がいたという。
そしたら、全員が固まってしまった。
それを見ていた担任の先生が「クラスの空気を読まず、発言して困った子・・・」と受けとめたらしい。。

人からお借りした話題で、自分が見たことではないのに憶測で物を言うのはあるまじきことなんだけど、
でも、想像に難くない。。というか、まさにあらゆる場所でこういうことが起きていそうな気がする。

この話題でいわせていただければ、「困った子」は他の「自分たちの意見に反する意見に固まる子たち」
のほうであると私は思う。
そして、反対意見を言った子を「困った子」とみなした担任である。

この場合であれば、「難しいからできない」と発言した子に「なぜ出来ないと思うのか」と問えばいいだけの話であって、この子が空気を読めない子だという問題意識を持つほうがおかしい。

物事を決める場で反対意見のない会議なんて何の意味があるのかと思う。
その場(雰囲気)にそぐわないと思われるかもしれない意見の中に、もしかしたら(みんなが気が付かないだけで)重要な意見が含まれることだってあるのじゃないだろうか。。

むしろ、みんなが気が付かなかったことこそ、不測の事態を避けるためのヒントであったりするはずだと思うのだ。

「居心地のいい場所」が協調性によりつくられるとして、
どこまでもどこまでも協調性だけを求めても、本当に「居心地のいい居場所」になるのだろうか。

「息苦しい世の中になってしまった」と言うが、限られたグループの中にいてそこを「居場所」だと限定してしまうことこそ、「息苦しさ」を生み出してやしないかと。。


ま、こんなこといつも思ってるので、わたしに「仲間」は少ないのであって。。
「居場所」なんていらねーよ。となかばやけくそ気味にもなるのでありますが。。。?




というわけで、内田さんの本の内容とはかけ離れてしまったけれど、
まあ、そういうわけで、わたしの読書は勝手な方向に流れてしまうので、また読み返すしかないのである。
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Commented by おとね at 2011-05-11 11:54 x
わたしはいま、話をしたい、たのしい、すき

それだけかもしれないな。まず自分がどうしたいか、かな、と思ったよ

居場所は自分がいるとこが居場所なんだもんねえ。
Commented by vinge at 2011-05-11 21:21
☆おとねさん

>まず自分がどうしたいか、かな

うん、そういえるのがいいとおもうよ。

居場所ってわたしはよくわからないの。 そういう言葉が出てきたときから、それってなんだ?って思うの。
むかしっから、流浪の民なのかもしれないよ。(笑)
by vinge | 2011-05-10 10:08 | ほんのはなし | Comments(2)