やわらかな 日々

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親子の見解

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鳥たちの巣立ちは、曇りの日の夕方が多い。 
晴れた日は敵に見つかりやすいので、あえてそういう時間と天気を選んでいる。

巣立って間もなくは、まだえさを親にねだり、幼さの残る顔で、電線に留まろうとするのもおぼつかない様子が愛おしい。




こんな本を読んだ。

佐野洋子〈追悼総特集〉 (文藝別冊)

河出書房新社





もしかしたら、「佐野洋子」の文章が好きだった人はイメージが変わってしまうかもしれない。。


ブログの場合もそうなんだろうけれど、本人の主観のみで書かれたものを読んでいて「こうだろう」と思っていたイメージというものは、その人の身近にいた人、それも身内という最もその人を知る客観にふれるとき、
なんというか・・・・
一種のネタばれのような、そんな気持ちになってしまう。 



それは、あとがきの最後に息子の弦氏自身が
「僕の言葉で、皆様の中の佐野洋子の作品が、壊れることのないよう願っています。」
と書いている。


私が感じたのは、あまりにも、彼女が普通の母性本能にあふれた母親であったということ。


たぶん、その人の個性とか、職業であるとか、経験であるとか、そういうことは息子さんにとって、多少は影響したとしても、それらが、ここまで(冷たいとさえ感じるほどの)文章を書かせないのではないだろうか。


「愛情」という重さ。

その見解は、親と子では違う。

多くの母親が、そうして、そして そうされてきたように、佐野洋子も普通の母親だった。
必要以上に愛を掛け、子に嫌われる。

そして、行き所のなくなった「愛情」をもてあます。



未収録エッセイ
「私はダメな母親だった」のなかで

「あんたは人間としてはまあまあだけど、母さんやってるときはみっともない」
そう、息子から言い渡される。
思春期で荒れ狂う息子、泣き暮らす母親。
「自分を責め続け、おろおろして、毎日どっきんどっきんと不安であった」
でも、あるときケロリとまともになってしまう。
子どもが、親以外に愛する他者を見つけてきたから。。

「私は、子どもが人を愛する力を持てれば、それがすべてだと思う。
男の子であろうと、女の子であろうと、そして愛する人と生きていくために力をそこからつかんで、金も稼がにゃならんし、人を守らねばならぬ。人とうまく付き合わねばならぬ。そのために私はなにをしたか、なにもしなかった。
私はただ子どもがかわいかっただけである。愚かでみっともない母親をやっただけである。」



母親自身も、自分の子どもへの愛の重さを、他者にゆだねて楽になりたい。


どこの母親も、そう思うのかもしれない。
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Commented by おとね at 2011-06-21 12:02 x
お葬儀の時の息子さんの挨拶をよんで
何となく感じてました。

それ以前も佐野さんのエッセイから透けて見えるものはあったかな。

わたしも、他者ときちんと恋愛できること=自立かもな、とおもってる。

そうゆう意味でいえばわたし自立してないな

恋愛=依存ではない。

わかってるけどもねえ・・これがなかなか。

Commented by vinge at 2011-06-21 15:09
☆おとねさん

うん。時々書いてたよね。。でも、現実、相当反発してたみたいな。。^^;

恋愛が自立ってのはむずかしいかなあ~。佐野さんの場合は、単に委ねたい・・って感じかなって思ったけど。
息子さんは、まだ過程なのかなとも思います。母親の呪縛からの。。

元夫の谷川さんと息子さんの対談も載ってるんだけど、それを読むと、ますます彼女が普通の女の人に思えてきた。
だからこそ、女性から好まれたんだろうし、それが男の人にはわからないところなんだろうな。。とね。
by vinge | 2011-06-20 10:19 | ほんのはなし | Comments(2)