やわらかな 日々

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プレゼント♪

私事ですが、先日〇〇才の誕生日を迎えまして。。。。。。。

ああ・・・まあ・・・・最近年なんてどうでもいいや~~・・というか、いっそ忘れて、いやいや、もはや忘れつつあって気にしてないのですが。。。

家族がそれでも忘れずにお祝いしてくれるので、やっぱりうれしいもんですねえ。。。037.gif

そして、ぽーこは毎年何かしら作ってプレゼントしてくれるのですが、今年はねえ。。
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手のひらに乗る、こんな包みを渡してくれました。

中身はこれです!
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そう!消しゴムはんこね!














いや~~うれしい~~~!!
実は、ここのブログのIDにもしている「Vinge」っていうのは、スウェーデン語で「つばさ」って言葉なんですが・・




今まで、何か作ってどなたかにプレゼントするとき、ちいさなカードをつけるようにしていたのです。名刺代わりみたいなね。
それで、そこに本名を入れてたんだけど、なんかなあ。。。。
もうちょっと、こう、工房っぽい名前ってつけたいなあ。。。。
って、考えていて。。。

わたしだけじゃなくて、ぽーこの作るものにもつけたいので、やっぱ、鳥関係??
でも、日本語の「つばさ」も英語の「ウィング」も結構あちらこちらで使われてるし・・・

というわけで、じゃあ、ムーミンも好きだし、北欧のデザインも好きだしってことでフィンランド語を探して・・・見つからなくて・・・・^^;;
スウェーデン語でいいやってことで・・・
ま、そのへんは深く突っ込まないでください。。^^;; ^^;;

今回、作ってもらった「はんこ」と、前に作ってもらったのと組み合わせて・・
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こんな感じで使っていこうかなと思います。

鳥が飛んでいる「はんこ」が、ぽーこ作で、もう一つの「羽」のは、むーたろう作です。
こういうの頼むと、二人とも張り切って作ってくれるからうれしい!

カード以外にも、タグに使ったりしてみようっと!

本当に工房作れたらいいなあ~~!!わくわく!!

さ~~て!今年も、もりもり作ろう!!!!
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# by vinge | 2010-01-19 10:38 | 作る | Comments(2)

そういうことかなあ。。

寒いですね~。夕べはこの冬一番の寒さで、マイナス10度だったらしいです。
どうりで、二重サッシの内側まで凍ってたよん。002.gif
で、今日も寒かったですが、いいお天気だったので、洗濯物も乾きました~~♪

さて、前記事や、「さんまいのおふだ」のことを書いたときもそうなんだけど、少しでも「宗教」がらみかな~?ってことを書くときには緊張します。

それは、もちろん「宗教」を知らないからなのですが、この国ほど、教育から宗教をはずしている国ってないのではないかと思います(いや、それすらよくわかんないけどね)
そして、さらに、「地下鉄サリン事件」のようなことがあってから、ますます、敬遠するようになってはしないかと思います。

わたしだって、多くの人と同じく、今目の前で親しく話している相手が、突然と「実はわたし〇〇教なのよ・・」ときりだしたとたんに、気持ちの上では100キロくらい離れそうだし、「へえ~~」って言いながら、顔が引きつっているかもしれません。

だけど、初詣に神社に行ってお参りし、帰りに近くのお寺にも寄っておみくじを引いたり、お盆の行事もすれば、クリスマスだって楽しんだりします。
そういうことはするのですけどね。。^^;;

そんな私ですが、若い頃には、とっても悩んだ時期もあったわけで、今思えばまったくたいしたことではないのだろうけど、たぶん、その頃買ったと思われる本があります。

ゆっくりしいや―百年の人生を語る (PHP文庫 オ 6-1)

大西 良慶 / PHP研究所



おそらく、その「タイトル」に惹かれたのでしょう。
買ってから、お坊様の本だと知りました。

当時102歳の清水寺貫主、大西良慶さんのお話を、口述筆記でまとめたものです。
さまざまなお話をされてますが、やさしい語り口の「御法話」であります。

どのお話もするすると、心に入ってくるのですが、何せん、忘れっぽいのがわたしです。
読んでは忘れ、たま~~に思い出して、また読んで「ふ~~~ん。そうか~~」と思い、また忘れるわけなんですが。。
そんな程度にしか読まないのに、なぜかいまだに手元においてありました。



ところで、最近は「カウンセリング」流行りといますか。。。
あちらこちらで「カウンセリング講座」もしくは「カウンセリング」という言葉を聞きますね。

わたしも、そういうところに誘われて、一回くらいは行ったし、「カウンセラーさん」も何人かにお会いしたり、ついには友人になってしまった人もいます。

でも、「講座」でさかんに使われる「傾聴」とか、「受け入れ」とかいう言葉に、なぜか「いまさらそんなこと」という気がするのです。
それはわたしにとっての「いまさら」です。
だって、そんなことはずっと前から知ってるし~~~。。。。ということです。

なんでだろうなあ~~・・・・・と思ってたんですが。。
この「ゆっくりしいや」の中にありました。

「仏様の教え」のなかでは、「傾聴」やら「受け入れ」というものはあたりまえにあったわけです。
忘れっぽい私の中にも、そのことが残っていたんですね。

もちろん、カウンセリングで言うところのそれと、仏教の教えでいうものとは、違ったものなのかもしれませんが。。。。

それはひとまずおいておいて。。

いまの世の中「カリスマ」なるお方が多いですよね。
「子育ての〇〇方式」だとか「経済界の〇〇」だとか、あらゆるジャンルの中に、世でいう「成功」を納めた人が
どんどん本を出して、それが、ものすごく売れたりして、そしてそこに集まる人たちを「信者」と呼んだりしています。

これって、目的がはっきりしていて、けして悪いものではないはずなのに、でもなんだか違和感を感じるのです。違和感というか。。。とても「危ういもの」ともいうかんじかな。。

前記事の河合先生の「それではシンリ教になってしまいます」ということばで気が付きました。
その話に感動するあまり、それが物語りであることを忘れ、それを「法則」のように考えて「適用」しようとすることである。」

ここですね。つまり、その「個人」の「成功物語」を「法則のように考えて適用する人」というのは
「個人」=教祖様 「適用する人」=信者。だとしたら、今の社会の中には、ものすごくたくさんの「〇〇教」があるわけです。
「怪しい宗教」は敬遠されますが、こういう「〇〇教」は全然問題なく、メディアに流されます。

でも、教祖様にせよ「カリスマ」にせよ、「そのひと」だけで出来上がるわけではないですよね。
その「個人」を信じる「信者」がいてこそ、「教祖」が生まれるのだと思います。

それだけ「法則」を欲しがっている人が多いということかもしれないですね。

「カウンセラー」や「カウンセリング」が流行るなかには、そういうことを求めている人もいるのかもしれません。


世の中が「迷い」や「不安」にあふれてしまうときに「宗教」が生まれたように、今は「カウンセリング」なのかもしれないですね。

でも、「法則」を振りかざす「偽宗教」や「偽カウンセラー」では救われないと思うのです。

人は、自分の気づきの中にしか「答え」はないのじゃないかなあ。。。と思うのです。
「答え」というか、「自分の答え」もしくは「納得」というか。。。
でも、それを見つけるために、人に話すわけです。
気持ちを声に出すこと、言葉にすること。。。そうすることで「気持ちの整理」をし、
他者の意見を聞く・・・・その言葉の中から、自分が感じるものを探す。
探すというより、必要とした言葉は自然に入ってくるものなのかもしれないです。
自分が求めていた言葉に出会えたとき「救われた」と思うのかもしれない。。。
そして、言葉でなくてもいい場合だってあるのです。

「ゆっくりしいや」の中でも、
「人によって「悟り」が違うものね。悟りは自分の知恵で悟るものであって、子供には子供の悟りがあり、おばあさんにはおばあさんの悟りがある」
とおっしゃられています。

仏法の中では「片手の声を聞く」といっています。
相手の声を聞く。相手の声を聞くことは、相手の心になること。
「国際間でもそうなの、向こうに片手の声がある。友達同士でもそうやの。向こうの気持ちでいったら
ウンウンと返事が返ってくる。気にいらなんだら黙っている。合わんものを持っていっても、片手の声は聞けないの」
「片手の声を聞こうと思ったら、もうひとつのてをもっていったらいいの。このように、片手と片手を合わせればいいの。片手が指をそろえているのに、ゲンコツを持っていったり、バラバラの指を持っていってもあかんの。
ちゃんとこう、片手に相応した手をもっていくの。それが合掌なの。」


わたしの友人のカウンセラーに
「人の悩み事相談に、どうしたら飲み込まれないで返すことができる?」と聞いたとき
彼女は「わたしはね。相手の話の中の『希望』の言葉を探すだけなの。そしてそれを返してあげるだけなの」
と答えてくれました。

私は、そのときに『片手の声』のことを思い出しました。

でもそれって、お坊さんの修行や、カウンセラーの勉強をしなくてもできることなのではないかと思うのです。
不安な時代だからこそ、人と人が、繋がる。
 そこに、上下関係や、権利や、義務や、欲・・そういう余計なものは一切無い、友人があればいいということだけなのかと思います。
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# by vinge | 2010-01-17 17:29 | ほんのはなし | Comments(4)

空飛び猫

空飛び猫 (講談社文庫)

アーシュラ・K. ル・グウィン / 講談社



このお話は3年ほど前に、ぽーこがまだ「英語」どころか「アルファベット」すら曖昧だった時期に、ペーパーバックで買ってきて、「訳してみる」と大暴言を吐いたことから知ることになる。

表紙には「英検準2級レベル」とかかれたシールが張られていたけど、ぽーこにはその日本語も読めなかったらしい。。

そして、図書館で「和訳」された本を見つけたときも、
「絶対読まないし、母さんも読んではならない!!」と厳しく言われた。。

そう、ぽーこは母さんのお口が「非常によくしゃべる」ということを、よくよく知っているので、読んだら絶対に中身を話すと思っているからだ。

そして、一年が過ぎ、2年が過ぎ・・・・一向に
「読み終わったよ」といわないので、こっそり覗いたら、お話の半分くらいのところで放置されていた・・・・

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内緒で、遠めにこっそりね↑ 

「やっぱり難かしかった??」と聞くと
「ううん。。。。。。。お話がつまんなくなってきたから、やめた。。。。。」と・・・・・・

どこまで、負けず嫌いなやつなんだか!008.gif

というわけで、このお話の中身に関していまだに誰も知らないわけなんだけど・・・
ひょんなところで、また出会うことになった。

猫だましい

河合 隼雄 / 新潮社



猫の本(お話)に関してのエッセイで、「空飛び猫」が取り上げられていたのだ。
そして、これを訳したのが「村上春樹」であること、内容に「PTSD」に関係したことが書かれていることなどを知った。

村上春樹さんといえば「アンダーグラウンド」など書かれたように「PTSD」にも関心を持っておられるので、この「空飛び猫」に関してもそういう観点でと思われ、河合さんは対談を望んだのだが、村上さんに答えてはいただけなかったそう・・・

まとめるのが下手なので、以下はわたしが気になった部分だけの抜粋になるけれど。。

この「ある日、翼を持った子猫が生まれる」という、ありえないことからはじまるお話。

ファンタジーの本質は 「なぜなしに存在し、なぜなしに納得させられる」ことではないだろうか。
子猫の母親でさえ「さっぱりわけがわからないのに」、子供たちに翼があり、この本を読むとわたしなど『そうだそうだ』と納得してしまうのだ。
そんな馬鹿なという人は、人生を真剣に生きていない人である。
中世ヨーロッパの大賢人、マイスター・エックハルトは、人間は『なぜなしに生きる』と喝破している。
何のためとか、なぜなどということはない。人間はなぜなしに生きているのだから、人生を語るファンタジーは、なぜなしに成立する。


しかし、人は現実にはなにかにつけ「それは、なぜどうして?」と理由や原因を求めたがる。
そこで、問題の「PTSD」につながっていくのだけど。。
「PTSD」に限らず、さまざまな心理療法においても、河合さんは「なぜなし」療法を挙げている。

実は、「空飛び猫」のなかでの「PTSD」は過去のトラウマからしゃべることが出来なくなってしまう猫が出てくるのだ。しかし、その猫は他の猫の「心理療法」によって、しゃべることができるようになるのだ。
それは、「なぜしゃべれなくなったのか」それにはちゃんと答えがあり、そのわけがわかったためにその猫は治り、めでたしめでたし。。。。となる。

それを、河合さんは「あれれ?」といっている。
「なぜなし」なはずのファンタジーが「なぜあり」で終わっているからだ。
そして

人により好みはあるだろうが、わたしは困難な場合は、なぜなし療法のほうが効果的と思ったりしている。
そして、なぜなし療法をやってるつもりが、終わってみると「なぜ」に対する答えが見つかったように感じる時もある。こんなわけで、「なぜあり」ファンタジーや物語が、間違っているとか、浅薄という気はまったくない。
ただ、困るのは、その話に感動するあまり、それが物語りであることを忘れ、それを「法則」のように考えて「適用」しようとすることである。
そうなると、それはシンリ教になる。


実際、「空飛び猫」の中でやった療法は、「PTSD」の療法として専門の本にも書かれているし、阪神淡路大震災の後も、こどもたちにそのときの「絵」や「作文」を書かせたりしている。
体験を言語化させれば治るというような単純な「法則」に頼ろうとしている。
それは「明らかな間違いである」と河合さんは言い切る。


数年前に、この本も空飛び猫も、「PTSD」の療法も何も知らずに(PTSDすら知らず)
「なぜ?」「なにが??」と閉じ込めた過去を問い詰めたことがある。

それが「記憶の中での再体験」になってしまい、より深く傷つけてしまった経験を思い出す。
体験の言語化どころではない。
「なぜ」はいらなかったはずなんだ。。。


「明らかな間違いだった」と、胸がちくちくと痛い。。。。
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# by vinge | 2010-01-15 16:48 | ほんのはなし | Comments(2)

そんなことまで。。

月刊 たくさんのふしぎ 2010年 02月号 [雑誌]

福音館書店




福音館書店から発行されている「かがくのとも」からの続きのような、小学生向けの雑誌。
うちは、この頃には、内容的にちょっと物足りなさをかんじていたのであまり買ったことはなかったけれど、図鑑ではなく、物語形式でつづられる内容にはおもしろいものもありました。

先月、暮れも押し詰まった頃、ニュースでも新聞でもこの本が取り上げられましたね。

医療関係の方から「登場人物のおじいさんのイラストがパイプを吸っているのは、子供向け雑誌として問題」だと指摘を受け、福音館ではこの号を回収し、作り直すことにした・・・とのこと。

「えええ??そんなことまで??」ってびっくりしたよ。

イラストで、こどもの近くでおじいさんがパイプをくゆらすと、その煙を子供が吸ったら「受動喫煙」になるからいけないんだそうだ。。。。

「禁煙」「嫌煙」もここまできたかって感じ。。

わたしはタバコを吸わないし、煙も嫌いだけれど、そこまでしなくてもなあ。。。って、もう そういう考えは甘いのかしら。。

じゃあ、なんだね。
ムーミンのパパのパイプも、スナフキンのパイプもみんな消さなくちゃならないね。

ムーミンコミックスの中じゃ、スナフキンは、落ち込んでるムーミンにパイプ渡して吸わせちゃうのよ!
「気持ち悪いほうがいいだろ!悲しい気持ちになるよりは・・・」って・・・・

ま、ムーミンは「ひと」じゃないからいいのかな。。。

こどもへの悪影響とか、絵の中のこどもの心配までするくらいなら、「名探偵コナン君」の周りにいる、「大人子供じゃない普通の小学生の仲間たち」がしょっちゅう殺人事件に出くわしている、その「心的外傷」が心配だわよ!

そういうことは誰も指摘しないのにね。
それで、その番組のほうがよっぽど「多くの子供」がみていると思うけど。。。
(たくさんの不思議、が売れてないってわけじゃないよ)

それにしてもだ、今「パイプをくゆらすおじいさん」自体があまりいないのじゃないかしらん。。
パイプを見て「あ!タバコ吸ってる!」ってわかる子いるのかな?

わたしが子供のころにも、そんなおじいさんは身近にいなくて、パイプはお話の中でしか見たことなく、そのイメージは「外国の船長さん」だったなあ。
わたしのおじいさんの家にあった「たばこ」は、パイプじゃなくて「キセル」だったし・・・(爆)
知ってる?「キセル」

あれを、ぷか~~~って吸ってるお年寄りには「貫禄」ってもんがあったなあ。。。
そう「大人の貫禄」

そして、タバコのにおいの染み付いた、おじいさんやおばあさんの体の匂い。。。

今で言う「加齢臭」なんてものじゃない、「大好きなおじいちゃんの香り」

しかし、いまや、そんなノスタルジーも削除されてしまうわけだ。
「健康」「健全」「教育」のために!


さて、これからの「おじいさん像」の「演出」はどんな形で作ればいいのだろうね。
作家さんもイラストレーターも大変だなあ・・・・・
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# by vinge | 2010-01-13 10:23 | ほんのはなし | Comments(6)

庭に来る鳥

庭に来る鳥は、この季節、すずめ以外にもさまざまやってきます。
都会でも、近くに大きな木のある公園や、ちょっとした林がある場所ならば、庭にえさ台を置いておくと、やってくる鳥って多いですよ。

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「しじゅうから」の食べ物は、動物性がお好み。
カイガラムシをつついてくれます。

えさ台に置くなら、牛脂をみかんのネットや、金網の中に入れて木の幹にくくりつけておくとよく来ますよ。

でも、結構なんでも食べるので、りんごをつついてるときもあるけどね。^^;;

「つぴー つぴー   じゅじゅじゅじゅ 」とにぎやかに高い声で鳴きます。

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「めじろ」 はおしゃまさん。

そして、甘い物好き。 みかんを横半分に切って、枝に刺しておくとすぐにやってきます。
浅い入れ物に、みかんジュースなんかでもいいみたい。

彼らは、皆すずめよりちょっと小さいくらいの大きさで、ほかに「えなが」や「やまがら」などなどと群れてやってくることもあるので、にぎやかで可愛いのよ。

それぞれに、お好みのえさがあるので、うちのえさ台には、ひまわりの種、ひえやあわ、りんご、かき、みかん
(すずめには、もっぱらパンだけど)いろいろ用意してます。

でもね、これらの可愛い小さい鳥たちが来る場所には、天敵もやってくるわけで・・・・

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 これが、うちの庭をなわばりにしている通称「もーちゃん」 ↑ ・・・・もずです。

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「さんしゅ」の枝先に付いた羽は、「モーちゃん」が、どなたかを捕獲した場所。

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そして、それをここで調理したあと・・・・・007.gif

自然の食物連鎖なのでね。 それもありですね。

「モーちゃん」は、体の大きさのわりに、モグラも捕まえれば、自分より大きいヒヨドリにさえ、アタックしていきます。

この時期ね、モグラがすごく庭を掘り返すのですよ・・・・・・
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 こんなふうにね。。。。。。猫より、もずのほうが上手につかまえてくれるかも・・・・・037.gif












さて、人間のほうの食べ物といえば。。。。
今日は「鏡開き」ですね。

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ストーブの上で、アズキを煮てます。

お汁粉食べた~~~い~~♪

おいしくできるかなあ。。。。。
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# by vinge | 2010-01-11 10:28 | とりのはなし | Comments(0)