やわらかな 日々

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その方法とは。。。

ああああ。。。。。ぼ~~っとしてます。

なぜってねえ。。。。。一気読みのせいです。
ええ、昨日の「例のあの本」です。

ドラえもんも、水戸黄門もあなどっちゃあいけないよ。
いささか、説明がくどかった感じもありますが、ほろり。。。と泣けたわ。
ベタな内容なのに。ベタなのが泣けるわ。

映画は見ないなあ・・・映画はやはり、イメージが壊れる。
ぽーこも、そこのところ同意見です。

さて、この寝不足の頭をすっきりさせるために、自分の部屋に入りましたが(寒いの)
今日は(も)仕事がないので、何か作りたいのですが。。
パソコンに向かってしまったので、過去のものの作り方を・・・・

先日、ご近所さんにその方法を教えてあげたら、ものすごくびっくりして大笑いされちゃいました。
「ふつう、やらないから!!!」って・・・・008.gif

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別ブログにも時々登場する、この「玄関の住人」なのですが。。
これの「焼き方」です。

まあ、普通に素焼きの粘土なんですけどね。。この「キャラ」自体の製作者はむーたろうです。

そして、こやつらは、玄関の3体以外にも、いっぱいおります。。。。

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小学校の図工で使う粘土なんですが。。それをちょっとわけてもらったことがあって。。
「焼けないけど、粘土遊びに使ってみてね。。。」っていわれて。。。。


な、なぬ?? 「焼けないけど」ですと?????013.gif

この「くまたろう家」が、そんな「粘土遊び」を喜ぶとでもお思いか???
素焼き用の粘土となれば、「焼かない」で済ますわけがなかろうが!!!!

しかし、うちにはそんな「窯」などないし~~。。。オーブンで焼けますって。。そういう代物でもないし~。
でもさ、「火」があればいいのさ!縄文人だって「火」で焼いたわけさ。

そして、うちにあるのは・・・・・・・・七輪!

そうさ!そうさ!七輪さ!!これを使わん手は無いわ!!

最初は、よく乾かした粘土を直に火に投入して失敗。(縄文人に負ける)
火を覆うもの(つまり窯をイメージ)に、素焼きの植木鉢をかぶせて焼いてみるものの、半焼け状態(色が黒ずんで、所々にこげあとが付く)

これで、わたしとしては「いいんじゃない?」と言ったのだけど、納得しない完璧男の夫。

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(ちょっと見えづらい?)こんなことをしました。

重ねた素焼きの植木鉢のあいだに作品を置いて、下の空気の取り入れ口から、ドライヤーを固定して一時間くらい送風し続けます。

そうすると、七輪から素焼きの植木鉢から真っ赤になって、さらに、最上段の植木鉢の底穴から火が噴出します。

もちろん、こんなことは外でやりますが・・・・・

後は、自然に冷めるのを待って・・・・・

取り出すと、半焼けだったものも、見事に「素焼き」の色になる。。。。というわけです。

いかがでしょうか?「家庭用登り窯・・・・くまたろう(夫)風」

** かなり(相当な)高温になります。それなりの広さと安全をお確かめください。
   素焼きの植木鉢は、一回で割れます。七輪もかなりのダメージを受けます。
   安全の保障は・・・ありません。それでもお試ししたい方は。。
   自己責任でお願いします。034.gif
   (この方法に関して、当家では一切の責任を負いません)
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# by vinge | 2010-01-21 11:14 | 作る | Comments(2)

やられた~・・・

暖かい日ですね。

先週の寒さはなんだったの~~?でも、また週末には寒くなるらしいですよ~。
皆様体調管理にお気をつけくださいね。

そんなわけで(どんなわけで?)
朝から、お布団干したり、掃除に励んだり、久々におこたつから抜け出して、せっせと働きました。

そうさ、そうさ!午前中は、家事に励むさ!

午後はね。これ読むからね!!

「ハリー・ポッターと死の秘宝」 (上下巻セット) (ハリー・ポッターシリーズ第七巻)

J. K. ローリング / 静山社



これの下巻読みます!!!読み終わるまで動かないぞ!!

いやはや、「今頃かい???」っていわれそうですね。
これの日本語版が出たのは、もうじき2年前になるちゅうにね。。。

それにしても長かったねえ。。。これの一巻は、たしか。。。。ぽーこがまだ小学校1年生だったかなあ。。
最初の感想は「ゲームだね」って思った。

ゲームはやったことないけど、感想言うならそんな感じ。のめりこまされるってところが。。。
引きずり込むのよ。で、さらさら読めちゃう。たとえ小学一年生でもね。
言葉も難しくないし。

ただ、4巻あたりから、だらだらして飽きてきた。025.gif
5巻6巻で、めんどくさくなってきた。。。。

なので、7巻が出たときには、ぽーこもわたしも「どうする?よむ? どっちでもいい??」
みたいになって、
でも、それでもここまで読んで最後を知らないのもどうかと。。。
「じゃあ、図書館にリクエストしなくても置いてあるくらいに、みんなが飽きた頃でもいいや。。」

というわけで、やっと我が家にやってきました。(長い!)

小学一年生のぽーこに面白かった話もね、その後の9年間に読んださまざまなお話と比べると、
物足りなさもあるのもしかたがないですが、その物足りなさの原因はなにか?とか、なぜ、それなのにこれほど読ませるか。。。とか、いろいろ分析までしちゃいました。

結論はですね。ハリーポッターは「ドラえもんと水戸黄門の融合」ではないかと。。。

つまり「どんなにやばそうでも8時40分には逆転できる、しかも、いざとなれば魔法のポケット(そして、最初からそれに気づけといいたい)」

「何年続いても、結果が見えていてもわくわくしてしまう庶民の娯楽番組

あは、いいすぎですかね。。。。。

でも、それを書けるってのはすごいことですよ。うん。

で、最終巻ですね。
いやはや、今までのだらだらもまとめにかかりました。よくわからなかったことを一気に説明してくれますので、今までを忘れていても充分わかります。
そして、ぐんぐん読ませます。
上巻を先週末に借りて、下巻がどうにも待てなくなり(何で、上下巻一緒に借りてこないのか?という突っ込みはまあ、まあ、諸事情がありまして。。。)
昨日の夕方下巻を借りてきて、ぽーこが一気読みしました。

今度は、母の番です。

むふふふふ。。。。さーてと。053.gif
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# by vinge | 2010-01-20 12:08 | ほんのはなし | Comments(0)

プレゼント♪

私事ですが、先日〇〇才の誕生日を迎えまして。。。。。。。

ああ・・・まあ・・・・最近年なんてどうでもいいや~~・・というか、いっそ忘れて、いやいや、もはや忘れつつあって気にしてないのですが。。。

家族がそれでも忘れずにお祝いしてくれるので、やっぱりうれしいもんですねえ。。。037.gif

そして、ぽーこは毎年何かしら作ってプレゼントしてくれるのですが、今年はねえ。。
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手のひらに乗る、こんな包みを渡してくれました。

中身はこれです!
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そう!消しゴムはんこね!














いや~~うれしい~~~!!
実は、ここのブログのIDにもしている「Vinge」っていうのは、スウェーデン語で「つばさ」って言葉なんですが・・




今まで、何か作ってどなたかにプレゼントするとき、ちいさなカードをつけるようにしていたのです。名刺代わりみたいなね。
それで、そこに本名を入れてたんだけど、なんかなあ。。。。
もうちょっと、こう、工房っぽい名前ってつけたいなあ。。。。
って、考えていて。。。

わたしだけじゃなくて、ぽーこの作るものにもつけたいので、やっぱ、鳥関係??
でも、日本語の「つばさ」も英語の「ウィング」も結構あちらこちらで使われてるし・・・

というわけで、じゃあ、ムーミンも好きだし、北欧のデザインも好きだしってことでフィンランド語を探して・・・見つからなくて・・・・^^;;
スウェーデン語でいいやってことで・・・
ま、そのへんは深く突っ込まないでください。。^^;; ^^;;

今回、作ってもらった「はんこ」と、前に作ってもらったのと組み合わせて・・
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こんな感じで使っていこうかなと思います。

鳥が飛んでいる「はんこ」が、ぽーこ作で、もう一つの「羽」のは、むーたろう作です。
こういうの頼むと、二人とも張り切って作ってくれるからうれしい!

カード以外にも、タグに使ったりしてみようっと!

本当に工房作れたらいいなあ~~!!わくわく!!

さ~~て!今年も、もりもり作ろう!!!!
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# by vinge | 2010-01-19 10:38 | 作る | Comments(2)

そういうことかなあ。。

寒いですね~。夕べはこの冬一番の寒さで、マイナス10度だったらしいです。
どうりで、二重サッシの内側まで凍ってたよん。002.gif
で、今日も寒かったですが、いいお天気だったので、洗濯物も乾きました~~♪

さて、前記事や、「さんまいのおふだ」のことを書いたときもそうなんだけど、少しでも「宗教」がらみかな~?ってことを書くときには緊張します。

それは、もちろん「宗教」を知らないからなのですが、この国ほど、教育から宗教をはずしている国ってないのではないかと思います(いや、それすらよくわかんないけどね)
そして、さらに、「地下鉄サリン事件」のようなことがあってから、ますます、敬遠するようになってはしないかと思います。

わたしだって、多くの人と同じく、今目の前で親しく話している相手が、突然と「実はわたし〇〇教なのよ・・」ときりだしたとたんに、気持ちの上では100キロくらい離れそうだし、「へえ~~」って言いながら、顔が引きつっているかもしれません。

だけど、初詣に神社に行ってお参りし、帰りに近くのお寺にも寄っておみくじを引いたり、お盆の行事もすれば、クリスマスだって楽しんだりします。
そういうことはするのですけどね。。^^;;

そんな私ですが、若い頃には、とっても悩んだ時期もあったわけで、今思えばまったくたいしたことではないのだろうけど、たぶん、その頃買ったと思われる本があります。

ゆっくりしいや―百年の人生を語る (PHP文庫 オ 6-1)

大西 良慶 / PHP研究所



おそらく、その「タイトル」に惹かれたのでしょう。
買ってから、お坊様の本だと知りました。

当時102歳の清水寺貫主、大西良慶さんのお話を、口述筆記でまとめたものです。
さまざまなお話をされてますが、やさしい語り口の「御法話」であります。

どのお話もするすると、心に入ってくるのですが、何せん、忘れっぽいのがわたしです。
読んでは忘れ、たま~~に思い出して、また読んで「ふ~~~ん。そうか~~」と思い、また忘れるわけなんですが。。
そんな程度にしか読まないのに、なぜかいまだに手元においてありました。



ところで、最近は「カウンセリング」流行りといますか。。。
あちらこちらで「カウンセリング講座」もしくは「カウンセリング」という言葉を聞きますね。

わたしも、そういうところに誘われて、一回くらいは行ったし、「カウンセラーさん」も何人かにお会いしたり、ついには友人になってしまった人もいます。

でも、「講座」でさかんに使われる「傾聴」とか、「受け入れ」とかいう言葉に、なぜか「いまさらそんなこと」という気がするのです。
それはわたしにとっての「いまさら」です。
だって、そんなことはずっと前から知ってるし~~~。。。。ということです。

なんでだろうなあ~~・・・・・と思ってたんですが。。
この「ゆっくりしいや」の中にありました。

「仏様の教え」のなかでは、「傾聴」やら「受け入れ」というものはあたりまえにあったわけです。
忘れっぽい私の中にも、そのことが残っていたんですね。

もちろん、カウンセリングで言うところのそれと、仏教の教えでいうものとは、違ったものなのかもしれませんが。。。。

それはひとまずおいておいて。。

いまの世の中「カリスマ」なるお方が多いですよね。
「子育ての〇〇方式」だとか「経済界の〇〇」だとか、あらゆるジャンルの中に、世でいう「成功」を納めた人が
どんどん本を出して、それが、ものすごく売れたりして、そしてそこに集まる人たちを「信者」と呼んだりしています。

これって、目的がはっきりしていて、けして悪いものではないはずなのに、でもなんだか違和感を感じるのです。違和感というか。。。とても「危ういもの」ともいうかんじかな。。

前記事の河合先生の「それではシンリ教になってしまいます」ということばで気が付きました。
その話に感動するあまり、それが物語りであることを忘れ、それを「法則」のように考えて「適用」しようとすることである。」

ここですね。つまり、その「個人」の「成功物語」を「法則のように考えて適用する人」というのは
「個人」=教祖様 「適用する人」=信者。だとしたら、今の社会の中には、ものすごくたくさんの「〇〇教」があるわけです。
「怪しい宗教」は敬遠されますが、こういう「〇〇教」は全然問題なく、メディアに流されます。

でも、教祖様にせよ「カリスマ」にせよ、「そのひと」だけで出来上がるわけではないですよね。
その「個人」を信じる「信者」がいてこそ、「教祖」が生まれるのだと思います。

それだけ「法則」を欲しがっている人が多いということかもしれないですね。

「カウンセラー」や「カウンセリング」が流行るなかには、そういうことを求めている人もいるのかもしれません。


世の中が「迷い」や「不安」にあふれてしまうときに「宗教」が生まれたように、今は「カウンセリング」なのかもしれないですね。

でも、「法則」を振りかざす「偽宗教」や「偽カウンセラー」では救われないと思うのです。

人は、自分の気づきの中にしか「答え」はないのじゃないかなあ。。。と思うのです。
「答え」というか、「自分の答え」もしくは「納得」というか。。。
でも、それを見つけるために、人に話すわけです。
気持ちを声に出すこと、言葉にすること。。。そうすることで「気持ちの整理」をし、
他者の意見を聞く・・・・その言葉の中から、自分が感じるものを探す。
探すというより、必要とした言葉は自然に入ってくるものなのかもしれないです。
自分が求めていた言葉に出会えたとき「救われた」と思うのかもしれない。。。
そして、言葉でなくてもいい場合だってあるのです。

「ゆっくりしいや」の中でも、
「人によって「悟り」が違うものね。悟りは自分の知恵で悟るものであって、子供には子供の悟りがあり、おばあさんにはおばあさんの悟りがある」
とおっしゃられています。

仏法の中では「片手の声を聞く」といっています。
相手の声を聞く。相手の声を聞くことは、相手の心になること。
「国際間でもそうなの、向こうに片手の声がある。友達同士でもそうやの。向こうの気持ちでいったら
ウンウンと返事が返ってくる。気にいらなんだら黙っている。合わんものを持っていっても、片手の声は聞けないの」
「片手の声を聞こうと思ったら、もうひとつのてをもっていったらいいの。このように、片手と片手を合わせればいいの。片手が指をそろえているのに、ゲンコツを持っていったり、バラバラの指を持っていってもあかんの。
ちゃんとこう、片手に相応した手をもっていくの。それが合掌なの。」


わたしの友人のカウンセラーに
「人の悩み事相談に、どうしたら飲み込まれないで返すことができる?」と聞いたとき
彼女は「わたしはね。相手の話の中の『希望』の言葉を探すだけなの。そしてそれを返してあげるだけなの」
と答えてくれました。

私は、そのときに『片手の声』のことを思い出しました。

でもそれって、お坊さんの修行や、カウンセラーの勉強をしなくてもできることなのではないかと思うのです。
不安な時代だからこそ、人と人が、繋がる。
 そこに、上下関係や、権利や、義務や、欲・・そういう余計なものは一切無い、友人があればいいということだけなのかと思います。
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# by vinge | 2010-01-17 17:29 | ほんのはなし | Comments(4)

空飛び猫

空飛び猫 (講談社文庫)

アーシュラ・K. ル・グウィン / 講談社



このお話は3年ほど前に、ぽーこがまだ「英語」どころか「アルファベット」すら曖昧だった時期に、ペーパーバックで買ってきて、「訳してみる」と大暴言を吐いたことから知ることになる。

表紙には「英検準2級レベル」とかかれたシールが張られていたけど、ぽーこにはその日本語も読めなかったらしい。。

そして、図書館で「和訳」された本を見つけたときも、
「絶対読まないし、母さんも読んではならない!!」と厳しく言われた。。

そう、ぽーこは母さんのお口が「非常によくしゃべる」ということを、よくよく知っているので、読んだら絶対に中身を話すと思っているからだ。

そして、一年が過ぎ、2年が過ぎ・・・・一向に
「読み終わったよ」といわないので、こっそり覗いたら、お話の半分くらいのところで放置されていた・・・・

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内緒で、遠めにこっそりね↑ 

「やっぱり難かしかった??」と聞くと
「ううん。。。。。。。お話がつまんなくなってきたから、やめた。。。。。」と・・・・・・

どこまで、負けず嫌いなやつなんだか!008.gif

というわけで、このお話の中身に関していまだに誰も知らないわけなんだけど・・・
ひょんなところで、また出会うことになった。

猫だましい

河合 隼雄 / 新潮社



猫の本(お話)に関してのエッセイで、「空飛び猫」が取り上げられていたのだ。
そして、これを訳したのが「村上春樹」であること、内容に「PTSD」に関係したことが書かれていることなどを知った。

村上春樹さんといえば「アンダーグラウンド」など書かれたように「PTSD」にも関心を持っておられるので、この「空飛び猫」に関してもそういう観点でと思われ、河合さんは対談を望んだのだが、村上さんに答えてはいただけなかったそう・・・

まとめるのが下手なので、以下はわたしが気になった部分だけの抜粋になるけれど。。

この「ある日、翼を持った子猫が生まれる」という、ありえないことからはじまるお話。

ファンタジーの本質は 「なぜなしに存在し、なぜなしに納得させられる」ことではないだろうか。
子猫の母親でさえ「さっぱりわけがわからないのに」、子供たちに翼があり、この本を読むとわたしなど『そうだそうだ』と納得してしまうのだ。
そんな馬鹿なという人は、人生を真剣に生きていない人である。
中世ヨーロッパの大賢人、マイスター・エックハルトは、人間は『なぜなしに生きる』と喝破している。
何のためとか、なぜなどということはない。人間はなぜなしに生きているのだから、人生を語るファンタジーは、なぜなしに成立する。


しかし、人は現実にはなにかにつけ「それは、なぜどうして?」と理由や原因を求めたがる。
そこで、問題の「PTSD」につながっていくのだけど。。
「PTSD」に限らず、さまざまな心理療法においても、河合さんは「なぜなし」療法を挙げている。

実は、「空飛び猫」のなかでの「PTSD」は過去のトラウマからしゃべることが出来なくなってしまう猫が出てくるのだ。しかし、その猫は他の猫の「心理療法」によって、しゃべることができるようになるのだ。
それは、「なぜしゃべれなくなったのか」それにはちゃんと答えがあり、そのわけがわかったためにその猫は治り、めでたしめでたし。。。。となる。

それを、河合さんは「あれれ?」といっている。
「なぜなし」なはずのファンタジーが「なぜあり」で終わっているからだ。
そして

人により好みはあるだろうが、わたしは困難な場合は、なぜなし療法のほうが効果的と思ったりしている。
そして、なぜなし療法をやってるつもりが、終わってみると「なぜ」に対する答えが見つかったように感じる時もある。こんなわけで、「なぜあり」ファンタジーや物語が、間違っているとか、浅薄という気はまったくない。
ただ、困るのは、その話に感動するあまり、それが物語りであることを忘れ、それを「法則」のように考えて「適用」しようとすることである。
そうなると、それはシンリ教になる。


実際、「空飛び猫」の中でやった療法は、「PTSD」の療法として専門の本にも書かれているし、阪神淡路大震災の後も、こどもたちにそのときの「絵」や「作文」を書かせたりしている。
体験を言語化させれば治るというような単純な「法則」に頼ろうとしている。
それは「明らかな間違いである」と河合さんは言い切る。


数年前に、この本も空飛び猫も、「PTSD」の療法も何も知らずに(PTSDすら知らず)
「なぜ?」「なにが??」と閉じ込めた過去を問い詰めたことがある。

それが「記憶の中での再体験」になってしまい、より深く傷つけてしまった経験を思い出す。
体験の言語化どころではない。
「なぜ」はいらなかったはずなんだ。。。


「明らかな間違いだった」と、胸がちくちくと痛い。。。。
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# by vinge | 2010-01-15 16:48 | ほんのはなし | Comments(2)