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やわらかな 日々

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謝らない理由

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山の中に咲いていた、まだ名前を調べてない花。  




前記事を書いてから、なんとなく未消化な気持ちが残ったので続きです。

そもそも、なぜわたしは「あやまらないか」というとですね。。。
前に「泣かない私」というようなことを書いたと思うんですが、 

まだ、1歳半かそこらで、いたずらを怒られて兄と一緒に「押入れ」に放り込まれて、兄は泣いて「ごめんなさい」と言うのに、わたしは泣かずに「ばか~~~!」を叫び続けた。。。。

あのときからわたしは「泣かない女+謝らない女」のレッテルがつく、筋金入りの「あやまらない」人生なのですだ。 ははは。

しかしだね。よく考えると、1才半くらいの頭脳で、自分がなぜ押入れに閉じ込められるか?ということは理解できたんだろうか??と思うわけです。
2歳年上の兄だって、たかが3歳ちょっと。
でも、そのわたしより2年多い経験の中で、彼は「ごめんなさい」という言葉が、親の怒りを静める「魔法の呪文」だということを体得したんでしょうなあ。。。

以下に書くことは、あくまでもわたしの経験からの考察ですので、またまた突拍子もないことかもしれませんが。。。。

わたしは、こうして「ごめんなさい」という言葉は、揉め事の「リセット」の言葉であると、刷り込まれていたように思うのです。

兄弟げんかのときにも、悪さして怒られたときも、単に親の機嫌が悪いときも「謝る」ということで、強制的にその話は終わりにさせられる。
学校でも、友達同士で喧嘩して「ごめんね」って言い合ったあとににっこり笑って握手する。。。な~~んて安っぽいドラマか、嘘くさいお話を聞かされたり見せられたりして、話し合ったりする道徳の授業とか。。

「ごめんなさい」という言葉さえいえば、それで、ほんとうにすっきりするのかしら?

わたしだって、目に見えてわかること。。たとえば人にぶつかってしまったとか、言ってはいけない言葉と、あきらかにわかることを言ってしまったときとか、
そういうときには「ごめんなさい」ということに何の躊躇もないのです。

でも・・・・・

小さかったわたしが、親がいったい何に対して怒っているのかわからないのに「謝らなければならない」ということに、「理不尽である」と感じたかどうかわからないけれど、
「怒りの正体」って、怒られる側ってわかっていないことが多いのじゃないかと思うんです。
そして、実は「怒っている側」も、同じように、自分の怒りの本質みたいなものってわかってないんじゃないかなって。。

わたしは、あるものに対して「謝罪せよ!」と強く求めたことがあるのですが、そのときに、確かに「謝罪」されたんですが、怒りが収まることはありませんでした。
おそらく、相手側の謝罪が「リセット」のためのものでしかなかったし、どんなに言葉を並べても、どんな言葉を受けても、お互いに通じるものがないのです。

でもね。私は、怒っている最中って、ほんとは何に対して怒っているのかよくわかっていなかったんですよ。
いろいろなことがありすぎて・・ということもあるし、私が単細胞過ぎるのもあるだろうし、
怒りなのか、悲しみなのか。。。。。。そういうものが自分で理解できないから、相手に謝罪されると、さらに的外れで(的外れなのかどうかさえわからないし)いらいらって増すだけなんですよね。

謝罪が、謝罪する相手のエゴにしか思えないの。


わたしは、自分の本当の怒りや悲しみっていうものは、相手の言葉によって消化できるのではなく、自分で消化するしかないのじゃないかと思うのです。
怒り尽くし、悲しみ尽くす。
でも、それを一人でやるのは、ほんとにしんどい作業なので、混んがらがったその気持ちをほぐす作業として、他者との関わりが必要に思います。
その作業こそ「聞いてもらう」ということです。
そうして手伝ってもらったりしながらも、長い長い作業を、ほとんど自分でしなければならないのです。


では、逆の立場のときは。。。

人は、自分が傷ついたことには敏感ですが、人を傷つけたことには鈍感なんだと思います。
だって、痛いのは自分じゃないんだもん。

あたりまえだよね。

わたしも、きっといっぱい、いろんな人を傷つけたと思うのですよ。
わかっている場合もあるし、わからないまま遠ざかったひともあるんだろうと思います。
そして、遠ざかるのはたぶん他人で、遠ざからないのは「親子」です。
でも、わかっている場合にも、謝ったかというと。。。。。
先ほど書いたように「あきらかに、いってはいけないことを言ってしまった場合」以外は謝っていないと思います。

手が痛いのに、足に絆創膏を張るようなことができないしね。

そして、「ごめんなさい」という言葉で、リセットしてはならないからとも思うのです。

きっと、相手が傷ついたというのなら、その人の傷が癒えるまで、付き添うことしか出来ないのじゃないかと。。
それが「責任」というのかな。。



またまた、的外れな見方だと怒られそうなんで、先に謝っておきますが。。。008.gif

手紙 (文春文庫)

東野 圭吾 / 文藝春秋



これを、映画で見たときに「加害者側」の立場というものをすごく考えました。
(事件が大きすぎると思いますが。。)

「謝罪する」ということ「罪を償う」ということ。

ほかにも、深く深く考えさせられた作品です。
Commented by おとね at 2010-09-03 10:50 x
うん、よくわかります。

謝ればそれで済むのかよって
でもねえそれしかできないじゃん?
外に何ができるのかなあ。

親子は別よ
親子はねえ時間だけはあるから。

私も親が私にやってきたこと
あやまってくれたとしても「それで終わりにするつもりか~~~っ」と思うと思うな(謝んないけどねうちの親は)

小さいころ喧嘩するたび母が私の手を引いて相手の家に行き
仲直りさせましょうといって
「ごめんなさい」と言い合ったことがよくあり

何という茶番!
私の謝罪の原風景はそこかもな。
Commented by vinge at 2010-09-03 16:26
☆おとねさん

>外に何ができるのかなあ。
わたしは、何もする必要はないと思うのよ。 何もしない。。。相手に対してね。あやまらなければならない状況になったと判断したときに、その状況をよくよく考える。考え続ける。
もし、それで自分の間違いであったと気づくものがあれば、それは自分を変化させるチャンスと思う。
失敗が次回に生かされるのなら、それはお互いによかったことにならないでしょうか。

親子は別だね。 それぞれ、いろんなことがあるんだろうけど。。。
だから、それぞれで。。。^^;;
Commented by のんのん at 2010-09-04 11:31 x
難しい話だけど、なんとなくわかる。
わたしも、簡単には謝らないというか、謝れないです。
謝ればすむなんてことじゃないし、
逆に相手をバカにすることになる気がして。

自分が傷つけられたときも、相手に謝ってなんか欲しくないもんね。
そんな簡単なことじゃないよって思う。
そこのところをわかってくれそうな相手、
どうしてもわかってほしい相手だったら
「わたしは傷ついた」ってことを言うかも。
でも、そうじゃなければ、
わたしは黙って去って自分で自分の傷を癒すかなあ。
別の信頼できる人には聞いてもらうこともある。
Commented by のんのん at 2010-09-04 11:35 x
そういえば、昔、子どもどうしのトラブルがきっかけで、
「すごく傷ついた」と言われたことがありました。
でも、わたしは相手が非難してきたようなつもりは全然なかったので、
謝ることはできなかった。
一生懸命、それを説明したけど、そのときは聞く耳を持ってくれなかった。

でも、その後のわたしのいろんなことに対する態度を見て、
その人はやっとわかってくれたみたいで、
ずいぶんしてからそういうメールをくれました。
とてもうれしかった。

あのときは悲しかったけど、謝らなくてよかったと思いました。
Commented by vinge at 2010-09-05 10:39
☆のんのんさん

一生懸命な気持ちが、別な形で相手に届いてしまったときって、やはり、お互いが納得いかないですよね。 で、やっぱり、そんなときに謝るってのは変だなってわたしも思うんです。
どちらの立場でもね。

若いときに勢いあまって、むちゃくちゃなこと言ってしまって、あとでとっても後悔したこともあるけれど、それでもそのときは正直に一生懸命な気持ちだったので、自分に嘘つきたくなかったんだよね。だから謝れなかった。。そんなこともあります。

謝ったその時点で、お互いの「関係も切れる」そんなこともあるんじゃないかなって。。思ったりします。
by vinge | 2010-09-03 07:59 | ほんのはなし | Comments(5)