2010年 11月 18日
波紋

朝起きて玄関を開けると、一枚、羽が落ちているときがある。
テラスに落ちているときや、低い生垣に小さな柔らかい羽毛が絡んでいるときもある。
「ここにきました」 と あいさつのように残してくれた気がして、
少ししあわせな気持ちになる。
先日、テレビのニュースを見ていたぽーこが
「波紋の先は 大波になる・・・・のにね・・・・・」とつぶやいた。
ニュースは尖閣ビデオの話をしていたときだったので、その呟きを受け取った私は
「中国じゃ このことで暴動まで起きてるのに、日本では何も起きないって事?」と訊ねたが
「ん・・・・・・・まあ・・・・・・・」と、うやむやな返事のまま、その話は終わった。
まあ、中国のことは、こればっかりが問題で・・というわけでもなさそうだし・・
無理に結び付けようとするには、わたしも時事問題詳しくないしつっこめないところだけど。。
それ以来「一石を投ずる」という言葉が離れない。
今日も、新聞には事件があふれている。
何十年か前ならば、一つ一つの事件が、相当大きな扱いで報じられたことだろうと思うけど。
いまや、「またか・・・」のようにながめている。
朝の列車運行状況の放送で「人身事故でおくれています」のひとことも、まるで「天気予報」でも聞くように、
「ああ、遅れが出てるんだね」と聞いていることに気がつく。
イギリスで、大学の授業料が値上げになるというので、学生が暴動を起こす。
まず、日本では起こらないだろうな。。
一石を投じても、波紋は広がらない。 ましてその先で大波にはならない。
暴動を起こすことを望むのじゃない。
自分の中に、その一石を受ける 水がないことに気がつく。
水がなけりゃ、波紋は広がらない。
石だけが ごろごろ転がってる。。
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by vinge
| 2010-11-18 09:46
| つれづれ
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